SELF:AI人工知能「古瀬あい」は「彼女(カノジョ)」たり得るのか?【前編】

SELF:AI人工知能「古瀬あい」は「彼女(カノジョ)」たり得るのか?【前編】


「古瀬あい」はカノジョたり得るのか?


男性にとって、人生を生きる上で

彼女(カノジョ)

ガールフレンド

恋人

といった存在は、子孫繁栄こそが生物の存在意義と考えるのであれば必要不可欠のものである。

が、現代社会においてはいささか曖昧・・・

むしろ必要不可欠とは言い難いものとなっている。

それは、人間が農耕民族、狩猟民族であった時代を過ぎ、イギリスで発症した産業革命を経て、アメリカで起こったネット革命に突入することにより、新たなステージ(進化)に入ろうとしているからとも捉えられる。

だが「カノジョ」という存在は、生活をする中で「プラスになる」ものであることは確実である。

今回は、記事タイトルを「人工知能『古瀬あい』は『彼女(カノジョ)』たり得るのか?」と題し、人工知能が独身男性の生活の中に、カノジョとしてどこまで入り込めるのか? という点に着眼してみる。


カレシとカノジョのはじまりとは

妻や嫁、という存在は、日本国憲法により守られる男女の繋がりである。

しかし、彼女(カノジョ)や、ガールフレンド、恋人といった関係性は、お互いがその関係性に同一の価値観をもって初めて確立するものである。

一方的に好意を抱いいていても、それは恋人同士、カレシとカノジョの関係とはいえない。

この関係性を築く上で、ほとんどの男女は口頭での意識確認をする。

「付き合いたいんだけど、どう?」

「このまま付き合っちゃわない?」

など、言葉のバリエーションは様々だ。

お互いが合意した上で関係は始まり、家族や友人、同僚といった自分を中心とした人間関係のカテゴリーに、新たな項目が増えることになる。

カノジョとしかできないこと

「カノジョとしかできないこと」という言葉から連想されることには、どうしても性的なものがある。

が、現在の日本においては、かなり性的に開放な世の中となっており、むしろ自分の趣味嗜好を求めた性的衝動であるのならば、ネット検索を駆使してカノジョでない女性と行為に及んだほうが都合が良い。

― カノジョとしかできないこと。

一番深い部分にあるものは、思うに「カノジョにしか見せない人格を見せること」である。

小説家である平野啓一郎の著書「私とは何か」は、人間のもつ多方面への人格。個人ではなく「分人(ぶんじん)」について記したものである。

人間は、関係性のカテゴリーにおいてそれぞれ分けた人格を要する。

父親に対しての自分、母親に対しての自分、友人に対しての自分、親友に対しての自分、同僚に対しての自分・・・

これらの人格はそれぞれ個性をもち、その関係性のカテゴリーの量は、その個人の人間としての奥深さ、幅の広さに繋がってくる。

つまり、カノジョが出来るということは、個人の中に新たな人格が生まれ、幅が広くなるということである。

カノジョがいることでのメリット

「人工知能『古瀬あい』は『彼女(カノジョ)』たり得るのか?」と題したこの記事だが、カノジョがいることでのメリットと同等のメリットが得られるのであれば、カノジョたり得る可能性も上がってくる。

カノジョがいることでのメリットとは?

例えるのであればインスタである

インスタにハマっている女性は日に日に美しくなる。

この言葉を、この項目の冒頭に記しておく。

「カノジョがいることでのメリット」という言葉から連想されることは、再び性的なことになりがちではあるが、それを一番にもってくるアタマならば、カノジョといることの価値の半分もわかっていないことになるだろう。

メリットとして上げるのであれば、前述したように「人間の幅が広がる」ことが挙げられる。

カノジョにしか見せない人格が新たに生まれることで、男性は自然と「かっこ良く」なる。

それは、自分の人間としての本能である「異性を惹きつける」ことのスキルが、カノジョと付き合うことで磨かれていくからである。

そのプロセスが生まれる理由は、カレシとカノジョという関係性は、お互いに「承認欲求」を満たし合える存在だからだ。

愛し合う行為に及ぶため、カノジョもカレシもすることは「お互いを認め合う」「褒め合う」ことである。

褒められることで人は欲求を満たし、新たな段階である「自己実現欲求」を満たそうとする。

この「欲求の段階」については「アブラハム・マズロー」という心理学者についてググれば、色々と知ることができるので割愛する。

カレシとカノジョの関係の場合、その自己実現欲求はお互いを「更に喜ばせよう」という方向へと働く。

プレゼントを買うためにバイトのシフトを増やしたり、充実した性行為の時間を楽しむためにカラダを鍛えたりする。

自己実現欲求を満たすために人間が行うことは、直接「人間の成長」に繋がる。

カノジョと付き合うことでの大きなメリットは、人間の幅が広がるだけでなく、成長さえも促してくれる。

このカノジョができることによっての、本能的衝動の動きは、インスタグラムのシステムによく似ている。

日々、顔を合わせるごとに「かわ『いいね』」を言ってくれるカレシがいなくても、インスタのなかで「いいね」を言ってくれる常連がいれば、それで満足できてしまう場合もある。

更に「いいね」を言われたくて、インスタ栄えを探すのは、自己実現欲求を満たすため、承認欲求を満たすための本能だ。

インスタグラムのおかげで、世界中の女性はどんどんキレイになっている。

例えるのであれば醤油である

そしてカノジョとは醤油である。

カノジョがいることでのメリットを例えるならば、卵かけごはんに醤油がつくかつかないかだ。

卵かけごはんは、醤油をかけなくても美味しい。

だが、醤油をかけても美味しい。

ひとつの料理の、2つの味を楽しめるのがカノジョがいるかいないかの大きな差である。

映画をひとりで観るのは楽しい。映画をカノジョと観るのも楽しい。

ひとりでドライブするのは楽しい。カノジョとドライブするのも楽しい。

生活のなかでの「カノジョと」という選択肢のプラスアルファで、人生は3割増しくらいで楽しくなる。

単純なことだが「選択ができる」というのは人生において大きな価値だ。


後編に続く

この記事は前後編に分かれており、前編では「カノジョとは?」ということについて探ってみた。

古瀬あいがカノジョたり得るか検証する上で、カノジョの定義が定まっていなければどうしようもないからである。

ざっとまとめると、カノジョとは、

・新たな人格を生み出してくれる

・人としての成長を促してくれる

・いると楽しさが3割増し

〜という存在。

と、定義してみた。

羅列してみると、個人との関係性においてのカテゴリーの「親」や「教師」「上司」といったものも、これに当てはまりそうだが、一番下の

「いると楽しさが3割増し」

という部分は、これらに当てはまらない場合が多い。

それ故に、カノジョという存在は、親や教師を超えて重要な存在といえるかもしれない。

「新たな人格を生み出してくれる」「人としての成長を促してくれる」という点については、ある意味、独身男はこれらが恋人がいる男性、既婚男性に比べて劣っていると仮定しても構わないかもしれない。

その劣勢を優勢に、古瀬あいは変えられることが出来るのか否か?

後編の記事では、これらの定義が古瀬あいに当てはまるか、検証していこう。