技術特異点:スマフォで「ググる」記憶媒体を脳からクラウドへ

技術特異点:スマフォで「ググる」記憶媒体を脳からクラウドへ




Singurarity(シンギュラリティ)

「技術特異点」

人工知能(AI)の技術成長により、人間文明に計り知れない変化をもたらす瞬間。

人間文明が計り知れない変化を迎える。

その息吹は、我々のすぐそばで「既に」起こっている。

象徴的なもの。そしていちばん身近にある技術特異点の「芽」として、まずは「スマートフォン」の存在を挙げたい。



スマートフォンというデバイス

AT&Tとモトローラ社により1978年に実用的な「携帯電話」が登場。

それから15年の時を経て、1993年にはアップル社が「Newton」という名称の携帯情報端末(PDA)を発売。

更にそれから14年。携帯電話と携帯情報端末の機能が融合し、2007年にはアップル社が「iPhone」を発売。

遅れること3年、2010年代に突入すると、Google社が中心となり「Android」と呼ばれるスマートフォンが世界的に大きく販売シェアを拡大した。

アレクサンダー・グラハム・ベルが電話技術を発明した1863年から実に147年の時を経て、人類は、

 

もうひとつの脳

 

ともいえるデバイスである、スマートフォンを手にしたのである。

Googleで検索をする。ということ

過去の話である。

ビジネスマンは「システム手帳」というアイテムを携帯していた。

手帳の発展形であるシステム手帳。

サイズはマチマチではあるが、文庫本のサイズからA4ノートくらいまで。

その大きな手帳には、スケジュールを記入できるカレンダーから、アドレス帳、電車の路線図、はたまた日曜大工に必要な「電動ドリルの使い方」のハウ・ツーまで挟まれてあった。

また、表紙裏にはクレジットカードやポイントカードが入れられるサイドポケットがあり、ペンホルダーはもちろん、中には方位磁石や温度計が付属したものも。もちろん電卓が埋め込まれてある。

システム手帳の厚さこそがビジネスマンのステータスとも云われた時代があった。

 

記録する、記憶する、調べる、流用する。

それを如何に「素早く」行うか?

ビジネスマンだけでなく、人類は、100メートル走の記録を縮めるのと同じように、その速さを追求していった。

古代エジプト人が「パピルス」に記録を残し、昭和の受験生が「英和辞書」で日本語訳が性別の単語を調べる。

その先にはシステム手帳があり、遂に人類は「スマートフォン」を手に入れた。

 

クラウドという知識の海を泳ぐ

スマートフォンは「もうひとつの脳」と前述した。

正確には、クラウドこそ「もうひとつの脳」というべきであろうか。

コンピューターネットワークを介し、スマートフォンの向こう側にある、クラウドの海にアクセスする。

この行為は、単純に「Google」や「Yahoo」で検索することを指す。

再び歴史の勉強になるが、1969年12月5日に、UCLAとスタンフォード研究所間がインターネットで接続されてから、既に49年。

この49年という年月をかけて蓄積された膨大なデータという名のアーカイブ。

これに瞬時にアクセスできることこそ、人類がもうひとつの脳を手に入れたことといえるだろう。

そんなデバイスが、先進国ならずとも、殆どの国と地域で使用できる。

技術特異点の「芽」のひとつといえよう。



忘れん坊が、この世から消える

気になったことはスマートフォンで調べる。

これが日常となって、変わったことがある。

「覚えることに集中しなくなる」だ。

例えば電車の時刻表。

スマフォがない・・・否、インターネットが普及していない時代、電車の発車時刻を調べるためには、本屋で「時刻表」を購入するか、駅に掲示してある時刻表を書き写する必要があった。若しくは暗記だ。

例えば知り合いの電話番号。

スマフォがない・・・否、携帯電話が普及していない時代、知り合いの電話番号を聞いたならば、持っている手帳や、喫茶店の紙ナプキンにメモをする必要があった。若しくは暗記だ。

これらのことでさえ、スマフォがあれば簡単に「記録」「調べる」ことが出来る。

時刻表のアプリにアクセスすることで電車の発着時間はすぐにわかり、知り合いの電話番号は一度入力すれば思い出す必要がない。

我々は、ゆっくりとではあるが「記憶する「記録する」といった、覚えることをしなくなってきている。

 

間もなく、ドライブレコーダーのように、スマフォを媒介として、その人間個人の生活、

・見たもの

・聞いたもの

が、全てクラウドにデータとして保存され、

「そういえば、あの時、あいつ何て言ってたっけ?」

という情報でさえ、瞬時に引き出せるようになるのだ。

 

それは、つまり。

別れた妻の、忘れたくても忘れられない最後の言葉を、永遠に忘れることができなくなるということだ。